2014/4/1
文: All Japan News, Inc. 工藤デイビッド
リトル東京には、多くの日系団体が事務所を構えて、活動していますが、「リトル東京ヒストリカルソサエティー」もその一つです。日本人町の歴史を再確認したり、フィルム、写真、記録に残していこうと活動しています。日本人がこの地で初めてビジネスを始めたのが1884年。今年2014年は130年の節目に当たります。そこで今年1年、いろいろなイベントやセミナーの開催が予定されています。楽しみな日本人町です。
では、1884年には、何があったのでしょうか。答えは、チャールズかめという方が、日本人として初めて340 E 1 First(セントラル通りとサンペドロ通りの間、現在の文化堂)に「かめレストラン」という当時のアメリカンスタイル カフェを開店したのです。このレストランを目当てに多くの日本人が集まり、大変賑わったと記録されています。
チャールズかめさんは日本から来た水兵さん、船乗りさん、漁師さんとかいわれていますが、LAを訪れた初めての日本人ではなく、あくまでも当地でビジネスを始めた初めての日本人です。当時は多くの日本人が郊外の農地で働いていたといわれ、農産物、水産物を出荷したり、風呂に入ったり、ホテルに泊まって買い物して帰宅する、など、この地に集まり始めた日本人のために、以降、日本人がどんどんビジネスを起こしました。
当地は以前ユダヤ人の溜まり場だった、「リトルベルリン」いわれた比較的安全な地域でしたが、アメリカ人がこの地を「リトル東京」と呼び始めた頃から日本人も急増し、最盛期は1マイル四方に約3万人の日本人が暮らしていたといわれ、第二次世界大戦がはじまるまでこの町は順調に発展しました。1934年には二世ウィークも始まりました。戦中の中断はありましたが、少数民族最大のイベントとして現在も続いています。
以上