1973年生まれ。東京育ち。小学校1〜5年まで、スイス在住。東京大学教育学部在学中は空手に熱中。97年、日本航空(JAL)に入社し、貨物部門に配属。2004〜08年中国広州に駐在。10年、鴻池運輸株式会社に転職。16年10月、ロサンゼルスに赴任。
乗り物が好きだという単純な理由で、大学卒業後に最初に就職したのは日本航空(JAL)でした。航空会社というと旅客のイメージがありますが、僕が配属されたのは貨物部門。当時は取扱量も今より多く、貨物専用機を保有し、JALの中でも一つの事業の柱でした。入社後は関西国際空港で3年間現場管理を行った後、東京に戻り、貨物の法人営業を担当。
04年からは、急速に発展する中国での航空貨物事業拡大の一役を担うべく、 広州に駐在しました。駐在するなら相手の国の言葉は学ぶべきだろうと、赴任中は週に2回、家庭教師について中国語を勉強しました。言語を学べば相手をより理解できますし、少なくとも理解しようとしていることは周りに伝わります。また、より多くの情報を引き出すこともできますし、管理の面では少しでも言葉が分かれば、変化の兆候を捉えるのが早くなります。仕事で使えるレベルまで言語を習得するのは難しいことですが、駐在するからにはそのくらいできるようにしなくてはと思っていましたね。
国と国の関係では日本を批判する中国人もいますが、個人的に知り合うと親切ですし、一度信頼関係を築くとすごく義理堅い。言葉から入って文化に触れて、仕事でも生活の上でも自分の生き方を開発していく、その面白さは海外駐在の醍醐味だと思いました。
08年に駐在を終えて本社の貨物部門に帰任。しかし、その辞令が出た直後にリーマンショックが発生して会社の経営が悪化し、10年1月にJALは会社更生法を申請することになったのです。それに伴い貨物部門は大幅に縮小。自分の年齢を考えると最後のチャンスだろうと転職活動を始め、鴻池運輸株式会社に転職したのです。
転職してから最初は新しい会社に慣れるために、新入社員に戻った気持ちで必死にやりました。中途採用だと自分の経験を活かしたいとはやる気持ちも出てきますが、それは後で発揮すればいいもので、まずは新しい場所で謙虚に学ぶことが大事ですよね。会社が違っても国が違っても、人とのコミュニケーションはどこでも一緒ですし、ともかく謙虚にやって、同じ目線で話をし、それを繰り返していけば、信頼を得て腹を割って話せるようになる。それは僕の経験から自信を持って言えることです。
国内の倉庫を担当した後、12年にはタイへ半年間の長期出張。次はいよいよアジア圏に駐在かと思って出張から戻ったら、なんと予想外の秘書室勤務に。3年間秘書を務めた後、16年10月にロサンゼルスに赴任になりました。ここは当社最大の海外拠点で仕事も多岐にわたり、大変なことは大変ですが、仕事は大変な方が面白いですからね。日本との違いにぶつかることもありますが、現地化している会社ですから、これが現地のやり方だと開き直って考えるしかありません。中国、タイ、アメリカと見てみて、実は日本人のように計画性がありしっかり期日を守ってという感覚の方が、世界で特殊であるとの確信を得つつあります。現地の感覚に合わせて、あとは日本側をきちんと説得するだけですね(笑)。
ロサンゼルスでのプライベートとしては、まずはLAマラソンを完走したいと思っています。これは日本人らしくきちんと計画し、トレーニングを積んで挑戦するつもりです。
KONOIKE-PACIFIC CALIFORNIA,INC.◎主要事業は、冷凍・冷蔵貨物の入出庫・保管作業や鉄道貨物・トラックと海上コンテナ間の積み替え作業等。同じく冷凍冷蔵倉庫事業を手掛けるLA地区のグループ会社2社と共に事業を拡大中。