1955年京都府生まれ。京都大学法学部卒業後、三菱商事に入社し、電力・交通関係の機器販売や事業投資に従事。85〜94年のヒューストン駐在を嚆矢に、LA、ニューヨーク駐在、ヒューストン支店長職を経て12年より現職。13年度、教育文化部会長。
高校3年生のときに1年間、ニューヨークのロングアイランドの高校に留学したのを始まりに、その後も不思議と米国と縁があります。若くて好奇心がいっぱいだったんでしょう。現地の高校にもすんなり馴染めて毎日が楽しかったです。1年なんてあっという間でまた来たいと思いました。
2回目の米国はヒューストン駐在。日本国内向けの仕事をしていたのですが、米国向けの商売を作って始めたところ、車の運転も英語もできるというので駐在員として送り出されたのです。ヒューストンでは民間発電事業のセクションにいて、途中から子会社として独立し、そちらに移りました。商社は英語ではTrading Companyと言いますが、当時から貿易だけでなく、そうやって事業投資をしたり新事業を起こしたりと、商社の役割が広がっていました。
米国は、僕が高校生のときには豊かで明るく、シェアする気風がありました。だんだんその余裕はなくなってきていますが、でもチャンスを与えてくれる国です。事業を起こしたり、外にプレゼンテーションに行ったり、自分から動いていけば、チャンスをくれる。日本にそれがないかと言うと誤解を生むけれど、米国にはもっと多くあります。それに、失敗にも寛容です。GoogleやAppleも最初からうまくやってきたわけではなく、みな何回もトライ&エラーを繰り返してやってきた。それも米国の一つの面ですよね。
自分の仕事を振り返っても、全勝してきたわけじゃなくて、失敗の方が多い。本当は失敗なんかしたくないし、全部勝てば楽だけどそうはいかない。でも失敗したところで止めるわけにはいかないんです。僕は小さい頃から野球やサッカーなど色々スポーツをやってきたけれど、野球だって毎回打てるわけじゃない。一流と言われる三割打者も10回のうち3回しか打っていない。ゴルフも調子がいいと、振っているだけで飛んで入っていきます。でも悪いときはあの手この手を考えてやらなくちゃならない。失敗したら、反省して、おいしいものを食べて、よく寝て、もう一回、一所懸命やり直す。それは仕事も同じですよね。
30年以上、色々新しいことにチャレンジさせてもらって、失敗もあったし、いいこともたくさんありました。これからは、もっと三菱商事が米国できちんと認識され、地域に感謝されるビジネスを確立していきたいと思っています。米国に限らず、 僕らが海外で仕事をするときには、全部利益を持ち帰ってしまったら意味がなくて、そこの社会と絡み合ってお金や人、文化の交流をしていくことが大切だし、その重要性は増してきています。会社の今年の利益も大切だけれど、地域とどうつながるか、来年再来年にどうつなげていくか、新しい種を蒔くのも僕の仕事だと思っています。
会社としても地域社会とのつながりを大切にしてきたけれど、去年、部会長を務めていた教育文化部会でも地域社会とさまざまな形で関わりました。幸い、チャリティーゴルフトーナメントが成功し、それを元に米国人教育者に日本を訪問してもらうUSEJプログラムや新たな文化活動など、多様な活動が実現できました。僕の人生におけるつながりは、やはり日本と米国が強いので、これからも少しでも日米関係の役に立っていければいいなと思っています。
=COMPANY INFO=
米国三菱商事会社◎北米三菱商事会社の子会社で、機械、エネルギー、鉄鋼など多岐に渡る分野を扱う総合商社。本店はニューヨーク。同ロサンゼルス支店は現在、食糧を主に扱っている。