1968年兵庫県生まれ、大阪府育ち。近畿大学理工学部卒業後、93年にハウス食品に入社。工場での設備メンテナンス、生産現場マネージメント、工場設備設計の仕事を経て、2010年に渡米。ニュージャージーの工場に勤務したのち、13年より現職。
ハウス食品には1993年に入社しました。最初に配属されたのは栃木県にある関東工場の設備メンテナンス。大学は理工学部でしたから、電気の基礎的なことは分かっていましたが、大学で習ったことがそのまま使える場面は少なかったですね。職場のことは職場で習わなくては、一人前になれないのだと実感しました。
メンテナンスの仕事を4年半ほどした後、97年に千葉の総菜パン関連のグループ会社に製造マネージャーとして異動。ハウス食品として初めての焼成パン事業でした。それまでの仕事は機械相手のことが大半でしたが、ここでの仕事はパートの方のシフトを組んだり、工程の担当者を決める段取りをしたりと、人と機械の両方が相手です。
ハウスのほかの食品事業と大きく違ったのは、カレーなどの加工食品は日持ちするものですから、ある程度、計画生産ができますが、惣菜パンは毎日の発注数にあわせ1日に3回出荷する日配物。つまり1日3回その時刻に必ず出荷数が揃っていなければならないのです。ですから例えば、あるパンが手違いで3個足りない。普通は準備に2時間かかるけれど、30分で間に合わせなくちゃならないということも起きました。どうするか、もう腹を決めるしかないですよね。焦らず逆算して工程や人の配置を組む。それも場数を踏むと、案外30分なりの思考ができ何とかなるもので、あれは不思議でしたね。といっても、それは私の力だけじゃなくて、先輩が知恵をくださったり、パートの方々も案を出してくれたり。みんなが同じ目標を共有していると色んな発想が出てきて、一見無理に見えることもできるんですよね。
2003年に大阪の本社に戻り、工場の設備設計の仕事に異動。その頃、ハウスフーズアメリカのガーデングローブ豆腐工場の生産が需要に追いつかなくなり、東海岸に工場を増設しようということになって、出張ベースでその設備設計の仕事に携わりました。海外の仕事をするのは私にとっては初めて。日米で異なる工場の規格や安全基準に対応できるように調べて進めていくわけですが、中には調べ切れていなかったり、行政の担当者ごとに多少の認識のずれがあったりすることも。誰に何を聞くべきかといった判断や、相手から情報を引き出す手法などは、その時に仕事の中で習いました。まだまだ下手ですが、英語が上達したのもその頃からですね。最初はろくに話せなかったので、日本語ができる人を通してやりとりをしていたのですが、やっぱり現場監督の人が何かを言っていたら、気になりますよね。今ではやっと、とっさの時も単語が出てくるようになりました。
2010年にはアメリカでの豆腐生産の担当者として渡米。日本の組織の中では中堅社員でしたが、ここでは責任者ですから責任もやりがいも大きいですね。現場からの目線を忘れず、積極的に改善を進めています。
アメリカでの豆腐の需要はおかげさまで順調に伸びており、東海岸に工場を新設した10年前よりも、ここガーデングローブでの生産量は増えています。昨年秋には新しい豆腐のスナック「GO UMAMI」も発売しましたし、今後は、健康目的だけでなく、おいしいから豆腐を食べるという現地のお客様が増えていけば、まだまだアメリカでの豆腐マーケットの伸びしろはあると思っています。さらに品質を上げ、安全無事故で、しっかりと増産の準備をしていきたいと考えています。
House Foods America Corporation◎ハウス食品グループ本社株式会社の海外グループ会社。1981年にアメリカ進出。アメリカにおける豆腐、揚げなど大豆加工食品やこんにゃくの製造・販売、カレー等加工食品の輸入販売、カレーレストラン経営などを手掛けている。