JBA 南カリフォルニア日系企業協会 - Japan Business Association of Southern California

サイト内検索

伊原 清勝 さん

Shimadzu Precision Instruments, Inc. (SPI) , Shimadzu Aircraft Equipment USA
President
伊原清勝さん

1964年生まれ。大阪大学工学部卒業後、同大大学院で工学修士号を取得。88年、株式会社島津製作所・航空機器事業部に入社。93年から2年間、SPIシアトル支社に出向。その後、本社航空機器事業部で航空機器製品の開発設計業務を担当。2010年より現職。

自己の基盤を作ったアメリカで ビジネスの新展開に尽力

多角的な視野や
率直さを学んだシアトル駐在

1988年に、島津製作所の航空機器事業部に入社し、航空機の搭載機器の設計に従事してきました。その中での最大の転機は93年から2年間のシアトル駐在。Boeing社との業務調整のため赴任したのですが、島津のただ一人の駐在員として、営業も技術も品質保証も工場の仕事もし、幅広く物事を捉えるやり方を学び、非常に良い経験になりました。島津の代表としてのプレッシャーはありましたが、甘えが許されないことが良い責任感になり、逆にいろいろなことを前向きにやれました。それに若かったので何事も、不安より新しいことを知る喜びの方が大きかったです。

来てみて感心したのはアメリカ人のライフスタイルです。仕事の時間はきちっと働き、その後は自分の時間に戻る。仕事だけでなく人生を楽しむことを肌で学びました。僕は日本との調整がありましたから、日本にいた頃と勤務時間はさほど変わりませんでしたが、日本よりもゆったり時間が流れている気がしました。

よく「あんた日本人ぽくないな」と言われるんですが、これはそのシアトルの2年間が僕のベースを作ったせいでしょう。深読みも遠慮もせずに、「僕はこう思てんのや」と素直に言ってしまうんです。でも、僕はチームワークではお互いに思っていることを正直に話し合うのがいいと思う。そりゃ意見の衝突はある。それをどう同じ方向に持っていくか。その早道は腹を割って話すことだと思うんです。その上で、見出した同じ方向に向かって頑張っていく。組織は個人プレイではなくてチームプレイですからね。

変化する航空業界で
ビジネスを拡大

95年に帰国し、本社の航空機器事業部に復社。2010年にLA赴任になるまで開発業務に携わっていた15年間、良い上司や部下にも、新機種のシステム開発のプロジェクトにも恵まれました。飛行機は製品寿命が長いので、新しいプロジェクトに恵まれるかどうかは運次第なんですが、水陸両用の飛行艇US-1A改や輸送機XC-2、哨戒機XP-1、Boeing747-8のフラップシステムの開発と、続けて開発業務に恵まれたんです。

この間、航空業界は大きな変化があり、装備品メーカーも小さな会社は淘汰され、残った大企業と比べると当社の規模は弱小です。しかし、その中でもビジネスを大きくしていきたいと、今年4月に当社はロングビーチに移転。これまでは日本から送ってもらっていた部品をアメリカでも作れるように部品加工・表面処理職場を新設し、コスト削減や物流の改善を目指しています。私のLAでの一番の仕事は、この新しい職場をうまく機能させ、次の人に苦労なく引き継いでいくことだと考えています。

実はLA駐在が決まった時、一番上の娘が高校2年生になる時だったので、家族を連れてくるかどうか悩みました。半年間単身赴任をして一時帰国した時、嫁さんが「家族、一緒にいられる時間て短いんやで。何とかなんねんやろ」と。「LAやから何とかなるかな」と言ったら、「なら一緒に暮らしたらええんちゃうの」と背中を押してくれたんです。翌年来た娘たちは、日本の友達との別れもあり、最初は学校も大変でしたが、4年以上経ったらここの生活に馴染んで、今では僕よりも英語がずっと上手ですよ。学齢の子どもがいても海外での生活が何とかなると思わせてくれたのは、ここにしっかり根付いている日系コミュニティーの存在です。それに僕の大好きな海もすぐ近くにありますからね!

「シアトルにはほかの日本企業の駐在の方も多くいて、生活面で随分助けられました」と伊原さん(右)

「シアトルにはほかの日本企業の駐在の方も多くいて、生活面で随分助けられました」と伊原さん(右)

=Company Info=

Shimadzu Precision Instruments, Inc. Shimadzu Aircraft Equipment USA◎(株)島津製作所の航空機器事業部の海外拠点。民間航空機搭載機器の製造・修理、米国で調達した航空機用部品の日本への輸出を行っている。

私のLAライフ一覧へ

PAGETOP