JBA 南カリフォルニア日系企業協会 - Japan Business Association of Southern California

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横井 勇氏

Meiko America, Inc.
President & CFO
横井 勇さん

1959年愛知県生まれ。南山大学法学部卒業後の83年、名港海運株式会社に入社。倉庫部勤務を経て、85年、輸出第一部に異動。91〜98年、Meiko America, Inc. シカゴ支店勤務。98年から日本の本社で輸入業務に携わった後、2015年にLAに赴任し、現職。

驕らず粛々と、 サービスと人の質を向上

「現場」「現物」「現実」の3現主義をベースに

横井 勇さん
1983年に名港海運株式会社に入社後、最初は倉庫部配属となり、空見コンテナセンター現場事務所に勤務しました。ちょうど私が配属された時に、顧客メーカーさんの製品を輸出梱包する設備が倉庫に導入され、担当となった私は梱包設備の操作など現場作業に従事しました。輸出入に関わる業務を経験していた同期入社の社員と比べると大きく異なる業務をしていたわけですが、結果的にはこの時の「現場」「現物」「現実」を見る経験が私の仕事のベースとなりました。当社の仕事はお客様の荷物を預かること。現場を知り荷物を知って仕事をするのとそうでないのでは、おのずと仕事の仕方も結果も変わってきます。

また現場で出会った方々との縁がその後の人生に大きく寄与してくれました。今も思い出すのは、当時の上司の「必ず誰かが見ている。だから決して諦めてはいけない」という言葉です。誰か必ず理解者がいるから腐るなということでもあり、誰かが見ていると思うと中途半端にはできないということですよね。

85年には輸出第一部に異動し、自動車部品メーカー担当に。その後91年にシカゴに赴任しました。生まれも育ちも大学も勤め先も名古屋で、人生初の転勤が海外。英語も話せないのによくやっていたなと思いますが、身振り手振りで何とかしていたんでしょう(笑)。忙しかったですがやりがいも体力もあり、同年代が多かった現地スタッフとも一体感があり楽しかったですね。

 

お客様のニーズに応えられるよう
人の質を上げていきたい

98年に帰国し、本社輸入第二部に異動。それまで携わってきた輸出とは真逆の部署で知らないことも多く最初は大変でしたが、この時も上司に恵まれ、たびたび相談に乗っていただき助けられました。2013年からは輸入第二部部長を務めた後、15年にロサンゼルスに赴任しました。実はシカゴから戻って以後、輸入業務を担当していた17年間は海外との業務とはほぼ無縁でしたので、米国赴任の打診を受けた時、「誰の話をしているのだろう?」と後ろを振り返ったくらいでした(笑)。原理原則は現場と言いつつ広大なアメリカでは難しい部分もありますが、メキシコを含めて9拠点を回り、各支店、現場の人たちとよくコミュニケーションを取ろうと努めています。

当社は今年で創立45周年を迎えます。それはこれまでの先輩駐在員と現地スタッフが質の高いサービスを提供してくれてきたおかげです。そのサービスにさらに磨きをかけ、お客様のニーズに応えられるよう、駐在員を含めて人の質を上げていきたいと考えています。その中で自らに課し、若い駐在員にも伝えている言葉が「驕らず粛々と」。地位や立場に驕ることなく、感情的になってしまいそうな時も冷静にロジカルに考えるよう、また目標を達成してもそれに満足せずに次を目指すようにと。偉そうなことを言っていますが、私自身、日々反省の連続です。自身を戒めるべく社長室にこの言葉を置いています。

LA生活は、妻が来てくれてから食生活も充実していますし、家に帰って話をする人がいるのも良いですね。若い頃は接待ばかりで帰りの遅い私に文句も言わず、かつてのシカゴ駐在では英語も話せず、初めの頃は車も運転できない中で小さい娘たちを育て…と苦労をさせてきたと思います。米国駐在中のプライベートでは、重点的に妻の接待をするつもりです(笑)。

Meiko America, Inc.◎愛知県名古屋市港区に本社を持つ名港海運株式会社の米国現地法人。米国8拠点とメキシコで、国際複合輸送、米国での海上、航空での輸出入にかかる輸入通関、輸送、倉庫作業を取り扱っている。

横井 勇さん
妻と一緒にLA生活を満喫中。「米国駐在中には妻とかつて駐在していたシカゴにも行きたいですね」。

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