1969年東京都生まれ。92年、法政大学経営学部卒業後に渡米し、英語を学んだ後、ニューヨークで旅行会社に勤務。1995年に日系の旅行会社に転職し、ロサンゼルスに転居。6年間支店長職を担い、2004年に退職。翌年、Asahi Beer U.S.A., Inc.に転職し、現職。
大学時代は学生ながら店長になるほど飲食店勤めのアルバイトに熱中していて、恥ずかしながら大学の出席日数は数えるほど。ところが2年のある日、大学に行ったら同級生が海外の話をしていて、行ったことがないと言うと「ダセえ」って。負けず嫌いなものですから、その場でロサンゼルスでの語学研修に申し込んだのです。アメリカ滞在は英語も話せないのに楽しくて、いつかこの国に帰ってくるという予感がありました。
大学卒業後、ゼロから自分でどこまでいけるのか挑戦してみたいと渡米。英語を勉強した後、西海岸で仕事を探したのですが全然見つからない。知り合いを通じてNYへ移動し仕事を探し、運良く米系の旅行会社に就職しました。1年ほど働いた後、LA支店開設のスタッフを探していた日系の旅行会社に転職し、ロサンゼルスに戻ってきたのです。
渡米当初からアメリカに残るつもりでしたが、最初はその手段が見えずその時その時で小さな光を見つけて掴んでいった日々でした。でも若かったせいか不安を覚えたことは一度もなかったです。やろうと決めたことは必ずやり遂げるタイプなので。言い方を変えれば頑固に突き進むタイプ(笑)。妻には「サバイバル能力がある」と言われています。
妻との出会いは日本出張へ行く飛行機の中。2004年に9年勤めた旅行会社を退職したのですが、出会ったのは退職前最後の日本出張でした。「次にLAに来る時にご飯でも」と言って再会した時は無職。でも彼女は「仕事があってもなくても、あなたという人は変わらない」と。退職後9カ月間は貯金を食いつぶしながら、世界各国で自分探しの旅を続け、同時に妻との関係も築いていきました。その後無職にもかかわらずプロポーズしたら「イエス」と。幸運にもそのタイミングで今勤めているアサヒビール社との出会いがありました。
異なる業界への転職ですが、どの仕事も基本は人と人との関わりです。ただ異なるのは、直に消費者に触れる旅行代理店と異なり、今は問屋さんにビールを卸売りするのが主な仕事であること。消費者への営業では自分の1の仕事に対して結果は1ですが、卸しの仕事は、問屋さんの営業を通してその何十倍もの人に届く。結果が100になることもあるのです。その意味では人との関係がさらに重要です。だから、という訳ではなく、頑固な性格のせいですが約束したことは必ず守ります。そういうことは、業界や業種、相手の人種が変わっても一緒だと考えています。
入社後の最大のプロジェクトは09年に始めた樽生ビール事業です。アメリカで樽生ビールといえば巨大な冷蔵庫の中の樽から注ぎ出すのですが、当社では日本産の樽生ビールを、テーブルトップの小さな機械で瞬間冷却して注げるようにしたのです。しかし問題はこの機械でした。日本では機械を取扱店に貸与できるのですが、アメリカではほぼ全州で無償貸与するのは違法で、1500ドル近くする高額な機械を購入してもらう必要がありました。しかし地道な説明の結果、おいしさを理解して導入してくださる店が増え、樽生ビール事業は年々二桁増で成長しています。
自社のビールだから言うわけではないですが、スーパードライの樽生はコクとキレがあって、繊細な日本食とマッチして本当においしいんですよ。その旨い樽生をこの大好きなアメリカで飲んでもらえるのは幸せですね。今後はさらに啓蒙活動を続け、日系に限らずアメリカのバーなどでも樽生が飲めるようにしていきたいですね。
=Company Info=
Asahi Beer U.S.A., Inc.◎アサヒグループ会社の国際事業の一つとして、1998年4月に設立された。日本から輸入したアサヒビール、および現地生産したアサヒビールの北米における販売を担っている。2009年より樽生ビール事業を開始し、全米で日本産の樽生ビールを販売。