1968年生まれ。3歳の時に家族で渡米しロサンゼルスで育つ。アルハンブラ高校、あさひ学園高等部を卒業後、慶應義塾大学に進学。大学卒業後、92年に日本経済団体連合会事務局入局。2000年に米国に戻り、02年より永野・森田米国公認会計士事務所に勤務。
3歳の時に渡米しロサンゼルスで育ちました。現地校に通いながら高校卒業まであさひ学園にも通学。大学はアメリカで行く選択肢もありましたが「このままではルーツがなくなってしまう」と心配した親のアドバイスで日本に戻り、慶應義塾大学に進みました。行ってみたら都会の生活が刺激的で、また友人にも恵まれ面白かったですね。大学のサークルを通して妻とも出会いました。
大学卒業後は経団連事務局に入局。大学時代に、細川護煕さんが日本新党を作るなどして政治ブームがあり、私も特殊な育ちではあるけれど日本人の一人として、政治家になって社会に貢献したいと夢を持っての入局でした。経団連では事務方として官僚と政治家と財界の間の政策調整の仕事を担いました。バイリンガルとして重宝されいろいろな仕事をさせてもらいましたが、最初は日本語で書くのが苦手で現場で随分日本語の文章力を鍛えてもらいました。
7〜8年ほど勤め、30歳を目前にした頃、東京でのハイペースな生活で疲れがたまってきたのか、ロサンゼルスの暖かい日差しの下でののびのびした生活が恋しく思われてきたのです。また数多くの政治家に会ううちに、純粋に社会のために働く人もいる一方で、利己的な欲にかられる政治家も多い現実を知り、政治家になる夢も失いかけていました。そんな頃、父が会計事務所を設立したこともあって、会計税務の世界に興味を持ち始めたのです。
そして2000年にロサンゼルスに戻って、会計税務の実務を積んで地盤を固めた後、02年から永野・森田会計士事務所で働き始めました。最初は父と同じダウンタウンLAの事務所に勤務し、2年目にサウスベイに新たに事務所を立ち上げました。実はこの世界に入る前は、会計税務の世界は真面目一徹な人が集まって仕事をしているイメージを持っていたので、人と関わったり話したりするのが好きな私にやっていけるか心配していたんです(笑)。でも会計税務の仕事は数字と人をつなぐサービス業で、人と話すことも大切な仕事なんですよね。
私たちの事務所のお客様の多くは、アメリカに進出されている日系企業です。日本から外の市場にチャレンジされる日本の企業を会計税務を通してサポートをできること、またその仕事を通して日系社会に貢献できることにやりがいを感じています。日本とアメリカの両方のバックグラウンドを持つ自分に与えられた天職だと思っているのです。
もちろんアメリカと日本の両方のアイデンティティーを持っていることに悩んだ時期もありましたが、悩むのは健全なことですよね。私の子どもたちも現地校とあさひ学園に通い、上の子は今、慶應義塾大学で学んでいます。彼らも苦労しているかもしれませんが、どちらのアイデンティティーも否定する必要はない。両方持っていて大丈夫だし、その両方を持っていることはとても良いことだと思っています。現地校に加えてあさひ学園に通うのは大変ですが、あさひ学園は日米の将来を支える子どもたちを育てる大切な場ですね。
これからも日系社会を支え、またお客様、属している教会など、身近な人たちやコミュニティーの役に立っていきたい。それに今は仕事の忙しさにかまけていますけれど、大学時代からずっと支えてくれている妻との時間をもっと持ちたいと思っています!
永野・森田米国公認会計士事務所◎1984年にロサンゼルスで設立。以後、米国に進出および米国で事業拡大をする日系企業に対して、日米会計、経理、簿記、監査、税務、コンサルティングなどのサービスを提供している。