JBA 南カリフォルニア日系企業協会 - Japan Business Association of Southern California

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Kay Communications, Inc.
社長
大塚 智恵子さん

1972年東京都生まれ。91年、高校卒業後に後に夫となる恋人と共に渡米し、コミュニティーカレッジからUCアーバインへ進学。96年、Kay Communications, Inc.に入社。97年に結婚、2009年第1子を出産。11年同社社長に就任。

仕事と育児を両立する エネルギーの源とは

残業はしないと決めた決意の裏側

身勝手ですが、子どもが生まれて、残業と泊まりがけの出張はしないと決めました。子どもと過ごせる時間は、仕事を終えてデイケアに迎えに行って寝るまでの間の、毎日たったの3時間だけ。その時間をできるだけ一緒に過ごしたいと思ったんです。それまで夜9時、10時まで残業していたのに、5時半に帰ろうとするとものすごく集中して仕事をします。今までも残業しないでできたんじゃないかと思うくらい(笑)。つまりは集中力が違うんです。凝縮して脳を使っているから、子どもを寝かしつけて、疲れてそのまま寝てしまうこともしばしば。でも子どもはパパとママの宝物。頑張るエネルギーをもらえます。

今年は夫と付き合い始めて25年になるんです。クラスメイトだった彼と高校2年で付き合い出し、受験を考える頃になって、2人とも留学を希望していたので、それなら一緒に行こうと決めました。親は娘が恋人と一緒に留学するなんて心配だったかもしれませんが、本人たちは大真面目に考えていたんです。卒業後、彼と成田空港からロサンゼルスへ。搭乗口に行くときに、母がひとこと「信じているからね」と言ってくれたのを今でも覚えています。

最初は別々のアメリカ人家庭にホームステイをしていたのですが、私がいた家は夜9時になると家族全員が就寝。私は明け方まで勉強していたからトイレに行くのも気を遣って…。24時間営業のレストランで勉強するようになったのですが、それが毎日となると大変な出費で、夫に一緒にアパートに住んでくれと頼んだのです。夫は「それはまずいだろう」と言いましたが、私は勉強したいと思っていたから必死で「家賃も半分になるし安全だし、徹夜したって誰も文句を言わないでしょ」と説得しました。親はさすがに反対しましたけれど、でも最後はしょうがないと信じてくれたんだと思います。

背中を押してくれた夫の言葉

結婚10年目にドイツの城で挙式。高校生のときに城での結婚式への憧れをもらしたのを夫が覚えていた

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それからずっと一緒に暮らしています。夫は私のメンタル面のオアシスというんでしょうか。前社長ががんで危篤となり会社を引き継ぐかどうか一晩で決断をしなければならなかったときも、自宅に帰って夫に相談しました。そのとき会社は順調と言い切れる状態ではありませんでしたし、子どもはまだ1歳9カ月。普通なら止めたかもしれませんが、夫は「会社をやると決めたら、どんな理由があろうとも一生懸命、ちゃんと黒字にして頑張りな」と。それを聞いて、決断できたのです。

引き継いで3年、売り上げも利益も上がっています。当社も社長が替わりましたが、ここ最近ロサンゼルスの日系社会全体のジェネレーションが替わり、活性化してきている気がします。私たちの仕事は主に日系企業の宣伝物を作らせていただくことで、微々たるお手伝いかもしれませんが、そういったお客様がメインストリームに出て行くのを見ると本当にうれしいです。

この3年、無我夢中で目の前のことをやってきましたが、今少しずつ、自分が本当に何をやらなくてはならないのかを模索しているところです。何となくは見えているのですが、それを実現するための方法を試しています。頑張ろうと動いている企業さんが増えているこのロサンゼルスで、もっと頭を使って考え、頑張っていきたいと思います。

=COMPANY INFO=

Kay Communications, Inc.◎1983年創業の総合広告代理店。市場調査から、パッケージやカタログ、ノベルティ、ウェブ、ロゴ等のデザインを含めた、企業のマーケティングやプロモーション全般を請け負う。

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