2024/5/6
去る3月19日(火)、『Eyewitness News』(ABC7)のニュースキャスター、デイビッド・オノさんを迎えての特別セミナーを行った。同氏の生い立ちやキャリアから日系コミュニティーへの思い、台頭するAIがメディアに与える影響、2024年米国大統領選挙の展望まで、ジャパン・ハウス ロサンゼルス館長の海部優子さんとの会話形式で語られた同セミナーの内容をレポートする。
ABC7、『Eyewitness News』のニュースキャスター。1996年にABC7に入社して以来、パリやボストンで起きたテロ事件、ハリケーン・カトリーナ、ハイチ地震や東日本大震災など、世界中のさまざまな事象をレポートしてきた実績を持つ。英国の皇族や米国の政治家との交流もあり、オバマ前大統領にはインタビューやスピーチのため、ホワイトハウスに招待された経歴を持つ。プロデューサーとしての顔も持ち、スミソニアン協会に認められたドキュメンタリーを複数制作したほか、10のエドワード・R・マロー賞、31のエミー賞、2つのRTDNA National Unity賞、6つのAAJA(Asian American Journalists Association)全国ジャーナリズム賞を受賞。さらに、Society of Professional Journalistsからの卓越したジャーナリスト賞、LA Press Clubからのジャーナリズムの年間賞と生涯功労賞も受賞している。
同セミナーの会場となったのは、ジャパン・ハウス ロサンゼルス5階のサロン。開場の6時頃になると続々と参加者が来場し、あちこちで談笑が交わされた。そして6時半になると、商工部会員の光永さんによる司会で会がスタート。まず、商工部会長の小林さんが登壇すると、「本日のセミナーとネットワーキングレセプションを通じて、皆さんそれぞれが思考を広げ、アメリカと日本の関係を深めていただければ幸いです。本日は参加くださり、本当にありがとうございます」と挨拶した。続いて、来賓の藤崎一郎・元駐米大使がマイクを持ち、「LAに(当日、同じく来賓として出席された在ロサンゼルス日本国総領事の)曽根さんがいることは、皆さんにとって非常に幸運なことだと思います。私はワシントンにいた時、彼を本当に頼りにしていましたし、素晴らしい領事だと思います」と、曽根総領事への賛辞を贈った後、「デイビッド・オノさんのアメリカの政治に関するコメントは本当に素晴らしいと聞いています。皆さんからは、私がアメリカについて少しは知っていると思っていただいているようですが、それはもう10年前のこと。ですから、今日は多くを学ぶ絶好の機会だと楽しみにしてきました」と、セミナーへの期待の言葉を述べた。
そして、いよいよセミナーが開始した。まず海部さんがオノさんの経歴を簡単に紹介すると、話はオノさんの出身地の話に。「私の両親(ニューイングランド出身のアメリカ人の父親と日本人の母親)は日本で出会い、2歳上の兄は日本で生まれました。私は父が短期間ドイツに転勤していた際に生まれましたが、その後すぐに日本(熊本)に戻り、アメリカに移住する前の人生の最初の年を過ごしました。その後、悲しいことに母親は我々がアメリカに移住して数週間後に自動車事故で亡くなり、日本との縁も切れてしまったのですが、それから人生のずっと後になってから熊本の叔父や叔母、いとこらとの連絡が再開し、今でも交流が続いています」と、自身の生い立ちや背景を打ち明けた。
次に海部さんが、オノさんが育った土地について触れると、オノさんは、「テキサス・サンアントニオで育った私は、日本人や日系アメリカ人に一度も会ったことがありませんでした。そこではメキシコ系アメリカ人が多くを占めており、高校に中国系アメリカ人の女の子が2人いたことくらいが、唯一のアジア人との接点でした。あとは70年代、ベトナム戦争の終わりにベトナムからの人の流入がありましたが、当時見かけたアジア人というとそのくらいでした」と当時の様子を語った。
続いて触れられたのは、オノさんがどのようにしてジャーナリストになったかについて。オノさんは、「自分がジャーナリストになるとは思っていませんでした。若い頃はフットボールとレスリングに没頭しており、それらの奨学金で大学に行きました。2つのスポーツを掛け持ちしていたので、とにかく時間がありませんでした。そんな中、大学で専攻を選ぶ際に、Radio Television Filmが他と比べて卒業に必要な時間が少なかったから選んだんです(笑)」と自嘲しながらも、「ダラスのNBCのテレビ局でインターンをしたことで人生が変わりました。とても興味深い世界であると感じましたし、地道に雑務をこなしていたらディレクターに気に入られ、”Chiron”という仕事を任せてもらえることになったんです。ニュース番組の画面上に出てくる人の下に、ボタンを押してその人の名前を表示させるという単純な仕事でしたが、自分はそれが気に入りました。そして、他のインターン生たちはセメスター終了後、誰も残りませんでしたが、私はテレビ局に残りました。そこから本格的にニュースビジネスを学び始め、大学に通いながらライターやプロデューサーの仕事を任せてもらうまでになったのです」と語った。そして、卒業後は同テレビ局に就職した旨、さらにその後、ニュースキャスターに転身し、テキサス州のミッドランド・オデッサにあるテレビ局でそのキャリアをスタート。その後、エルパソのテレビ局で3年、サクラメントのテレビ局で3年働いた後、ロサンゼルスのABC7に入社し、現在に至るという旨についても話した。
そして、いよいよセミナーが開始した。まず海部さんがオノさんの経歴を簡単に紹介すると、話はオノさんの出身地の話に。「私の両親(ニューイングランド出身のアメリカ人の父親と日本人の母親)は日本で出会い、2歳上の兄は日本で生まれました。私は父が短期間ドイツに転勤していた際に生まれましたが、その後すぐに日本(熊本)に戻り、アメリカに移住する前の人生の最初の年を過ごしました。その後、悲しいことに母親は我々がアメリカに移住して数週間後に自動車事故で亡くなり、日本との縁も切れてしまったのですが、それから人生のずっと後になってから熊本の叔父や叔母、いとこらとの連絡が再開し、今でも交流が続いています」と、自身の生い立ちや背景を打ち明けた。
続いて海部さんが「あなたは多くの時間とエネルギーをさまざまな組織に費やしてきました。例えば、Nisei Week、AAJA、Go For Broke National Education Centerなどです。なぜ日系、アジアンコミュニティーを大切に思うのですか?」と問うと、オノさんは、「自分は長いこと、日本や日系人について無知でした。ですから、それを少しずつ取り戻し、学び、掘り下げていきたいのです。日系コミュニティーが持つ物語の数は膨大で、この小さなコミュニティーがアメリカの歴史にとってどれほど重要かは言うまでもありません。また、日本はアメリカにとって最も重要な同盟国の一つであり、科学の最先端を走る国であるほか、安全性へのアプローチ、家族へのアプローチ、伝統へのアプローチの方法には、学ぶべきことが多くあります」と述べた。また、自身がプロデュース、ホストを務める没入型のライブパフォーマンス『Defining Courage』において、第二次世界大戦中、日系アメリカ人兵士らによって編成されたアメリカ陸軍部隊である第100歩兵大隊や第442連隊戦闘団、さらに日系人の強制収容などについて、深く掘り下げて紹介してきた旨についても触れた。
続いてトピックが「今後、AI(人工知能)はメディアにどのような影響を及ぼすか」に移ると、オノさんはAIだけで運営されるニュース番組『Channel 1』を例に出しながら、「AIと聞くと、技術が暴走したり狂ってしまったりすることを心配するかもしれませんが、『Channel 1』のニュースは全て、信頼できる情報源とファクトチェックに基づいています。ただ、このニュースのアンカーは全て偽の人々で、実在しません。これらのアンカーには給料を払う必要がなく、間違いを犯すこともありませんが、人間は欠陥があるところに魅力があると私は思うんです。人々は完璧さを求めているわけではない、というのが私の考えです。そうでなければ、マドンナやミック・ジャガーが史上最大のスターになることはなかったでしょう。彼らは最高のシンガーでもダンサーでもないですが、その自信やカリスマ性、そして言葉では表現できない何かが彼らを魅力的にしたのです。それと同様に、AIのニュースアンカーは完璧かもしれませんが、人々がそれを見たいとは限りません」と自身の見解を述べた。また、「AIはニュースに関する映像をそれらしく作り出して話題にすることもできてしまいます。訴訟リスクがあるような偽の映像を作り出すことはないかもしれませんが、視聴者に誤解が生じる可能性もあり、注意が必要です」と、警鐘を鳴らした。その後、最後には注目の2024年大統領選挙の行方について語られたが、内容はオフレコのため、ここでは割愛する。
以上で充実のセミナーが終了すると、曽根総領事が登壇。「今日はオノさんから実に多くのことを学ばせていただきました。日本人として、もっと多くの人に日系アメリカ人の業績や戦場での彼らの奮闘について知ってもらいたいと、あらためて感じました。また、アメリカ政治についても多くを学びました。大統領選に関しては投票権がない日本人の我々は結果を見守るしかありませんが、今日の経験が日本とアメリカの友情を深める良い機会となったことを願います。ありがとうございました」と話し、「Cheers!」と乾杯の音頭を取った。
その後、軽食を楽しみながらのネットワーキング会へと移ると、参加者は思い思いに会話の輪を作って交流を楽しみ、イベントは無事終了した。