2016/9/21
去る9月21日、JBAはトーランスのMiyako Hybrid Hotelにて、7月末に着任されたばかりの千葉明在ロサンゼルス日本国総領事を迎えて、特別講演会を開催した。当日は、千葉総領事の豊富な外交経験を基にした示唆深い話に、参加者一同が聞き入る会となった。
[講 師]
千葉 明在ロサンゼルス日本国総領事
1959年テヘラン生まれ。東京大学法学部卒業後、84年に外務省に入省。北京大学、カリフォルニア大学バークレー校(修士)で研修後、在中国大使館参事官、在アメリカ合衆国日本大使館公使、在イラン日本大使館公使などを歴任。2016年7月より現職。
講演会の冒頭、千葉総領事はタイトルである「物語(ナラティブ)を紡ぐ」に込めた思いから話し始めた。「私どもは外務省で『外交』という仕事をしており、相手国と交渉して日本に有利な結果を導いていくのが主な仕事です。その場合、世論をどれだけ味方につけるかということが鍵になるのです」。歴史というのは事実はおそらく一つであるが、真実というのはどう解釈するかによって、人の数だけ存在する。事実を組み合わせて、より受け入れられる物語を作った方が勝つのです、と千葉総領事。「これがほとんど虚業とも言えるような外交の世界のテクニックになるのです」。
本講演のサブタイトルは「イラン核問題交渉が教えたもの」。千葉総領事は、ロサンゼルスに着任前の2013年から2年弱、在イラン日本大使館に駐在していた。この時、イランは核問題交渉において、交渉相手が持つ世界観をうまく利用し交渉を成功に導いたのだという。
イランのアリー・ハーメネイー氏、英語ではSupreme Leader、最高指導者と訳される地位にある人物であるが、 実は限られた人々による選挙で選ばれただけであり、ペルシャ語ではただ「導き手」という意味を持つだけの肩書きである。「ところが西側のメディアはそれを勝手に『最高指導者』と訳し、ハーメネイー氏が最高指導者だと思い込んでしまっているところが多分にあります。イランはその思い込みをフルに利用したのです」。
実際は、イランにおける「Supreme Leader」は、国軍と革命防衛軍、政府、議会、司法などイランの6つの権力の言い分をまとめるバランサーの役割を担う人である。しかし、イランはあたかも権力を握っているのがその人であるかのように、「これでは最高指導者が納得しない。交渉をうまくいかせるために、折れてくれ」といった言い方で西側と交渉したという。「実は交渉者も最高指導者もグルだったわけですが、そうでないように見せかけて交渉を勝ち取った。相手の勝手な思い込みを利用して、こうしたナラティブを作っていったわけです」。
このように相手の思い込みを利用して巧みに交渉をしていくテクニックは、イラン独自のものではない、と総領事。日本でも外務大臣を務めた青木周藏が、これをうまく使って、1894年に不平等な日英通商航海条約改正に成功した。また、イラン核問題交渉において、西欧社会が二項対立で物事を考えるのをイスラエルがうまく利用した例も紹介された。
次に千葉総領事の専門である中国の話に移った。千葉総領事は1985〜87年の北京大学での研修に始まり、88〜91年、2001〜04年に在中国日本大使館で勤務するなど中国と関わりが深く、中国や中国語に関する著作もある。
「中国が常に言うナラティブは『屈辱の世紀』です。『100年間にわたってわが中国は帝国主義に痛めつけられていた。帝国主義にリベンジをするのは、中国の正当な権利である』と言うわけです。果たして、これは本当にそうなのでしょうか?」。中国の言う「屈辱の世紀」は1840年の阿片戦争から始まる。戦争に先立ち、中国では、イギリスが中国に売りつけたアヘンにより、廃人同様になる者が増加した。アヘンは輸入禁止となり、林則徐という中国の役人が密輸されたアヘンを全て没収し破棄したことから、イギリスが怒って戦争を仕掛けたという構図である。
「イギリスはかなり慎重にこの戦争を考えていたようで、議会にかけて1票差で開戦となりました。しかし、なぜイギリスはアヘンを売ったのでしょうか。『アヘンを売りつけるなんて非常にひどい奴らだ』とそこで思考停止する人が多いのですが、もとはと言えば中国がお茶を独占販売していたことにあります」。イギリスではお茶の需要が非常に高く、中国から輸入をしていたのだが、中国は広州の港にお茶の貿易会社を集中させ、そこ以外では貿易をさせなかったことから、お茶の価格が高騰。しかし中国は国内で何でも揃うと、イギリスから何も買おうとしない。そこでイギリスがアヘンを売りつけたのである。「無論アヘンを売りつけるのは大変けしからんことだと思いますが、中国がお茶を独占していなければ、こうなったのだろうかと思うのです。中国が使う『屈辱の一世紀』というナラティブにはこういう背景があるのです」。
中国に関しては、さらにもう一つの話題が紹介された。中国は、日本との間で尖閣諸島をめぐり領土問題を繰り広げているが、実は不都合な事実があるという。ここで総領事がスライドに映したのが、中華人民共和国国家測絵総局、日本で言うところの国土地理院にあたる機関が1969年に発行した地図である。この地図は中国の公式な地図であるが、ここには日本の呼び名である「魚釣島」と記載されている。しかしこの頃、国連の下部組織の調査により、尖閣諸島の海底に巨大な油田があると報告が行われた。そして台湾の蒋介石は「台湾の領土である」と言い始めたのだという。
「スタンフォード大学が所蔵している『蒋介石日記』では、当初、蒋介石は『尖閣』と呼び、沖縄の一部だと書いているのですね。しかし沖縄の帰属についてはアメリカが占領しており、まだ争う余地があると。ところが1972年に沖縄が日本に返還されるわけですが、70年頃から沖縄返還の動きが活発になると、『どうやらアメリカは尖閣諸島を含めて沖縄を日本にやってしまうらしい、まずい。ここは台湾の一部と言い換えることにしよう』ということが蒋介石日記に書いてあるのです。名前も、中国では釣魚島(チョウギョトウ)、台湾では釣魚台(チョウグダイ)と読んでおり、日記でも名前を書き替えています」。このように台湾政府が魚釣島の領有権を主張し始め、中国政府も「釣魚島は台湾の一部である。台湾は中国の一部である。従って釣魚島は中国の一部である」と三段論法で領有権を主張するようになったのである。
尖閣諸島問題に関しては、この他にも、中国の共産党の機関紙である「人民日報」が1953年1月8日付の記事の中で、尖閣諸島が沖縄の一部だと明記した記事も例示された。「それまでは沖縄の一部だと言いながら、石油が出たということで、いきなり『尖閣諸島は台湾だ』と言い出したわけです。後は、全部ナラティブです。中国から発されるナラティブによって物事がかき回されているのです。このナラティブを信じてしまっている人がいるので、なんとか対抗しなければならないのが現状なわけです」。
中国での勤務経験が長い千葉総領事は、さらに踏み込んで、中国人の考え方の背景を解説した。習近平国家主席をはじめ、現在の中国の指導者層は、1966年以降の文化大革命以後に下放され、都会から田舎に労働のために送られて、青年時代を過ごした世代である。そうした世代は当時、日々、毛沢東の著作を暗唱させられたのである。「そうなると、この世代の指導者の考え方はどうしても暗記した本の内容に似ているなと私は思うのです。どういうことかと言うと、毛沢東はマルクス主義者ですから、弁証法という理屈になるわけです」。
弁証法では、物事を見る時に正面から見た要素である「正」と、その逆の要素の「反」があり、矛盾する二面性があると考える。この矛盾するものを、矛盾のない形に理屈を整えていくことを「止揚する(アウフヘーベン)」という。元来、弁証法はドイツのヘーゲルの哲学であり、この思考方法が物事を進める原動力になると教えていた。しかし、毛沢東になると、主要矛盾に注目することが大事であると教えが変化する。「現実にはさまざまな矛盾が存在しますが、もめごとが起こるのは対立があるからであり、それが何と何の対立であるか、主要矛盾を見つけるのが大事であると言うのです」。
続けて、総領事はその具体例を語った。「例えば、総理大臣が靖国神社を参拝すると中国はそれに反対する。『これは中国の平和を愛好する人民と、日本の軍国主義勢力との矛盾である。従ってこの主要矛盾を片づけねばならない』として、中国は日本の軍国主義勢力なるものを叩こうとします。これが毛沢東の教えですが、そもそもの戦い方がおかしいと言えます。何がおかしいかと言うと、主要矛盾の立て方です。日本には軍国主義勢力もいるかもしれませんが、全体的に見れば圧倒的に平和愛好勢力です。そして中国にも軍国主義勢力は少数いるわけです。ですから、中国の軍国主義勢力と日本の軍国主義勢力対中国の平和主義勢力と日本の平和主義勢力の間の矛盾であると、主要矛盾のあり方を変えると、取るべき政策が変わってきます。毛沢東は主要矛盾が大切であると教えておきながら、どうやって主要矛盾を見つけるかは教えず、一生懸命考えて見つけろとしか言っていません。そのため非常に恣意的、主観的に主要矛盾を見つけてしまうのです。これが外から見ていて中国の政策が分かりにくい理由の一つではないかと思います。彼らが何を主要矛盾だと捉えているかを考えると、意外に単純な政策だということが分かってきます」。
総理大臣の靖国神社参拝に関連して、総領事は、それまで中国で問題になることのなかった「靖国神社への総理大臣公式参拝」が問題となった1985年の中曽根康弘総理の参拝時のことを振り返った。
「当時、中国は『首相の公式参拝は許せない』という言い方をしたのですが、その後靖国を参拝した総理大臣で、それが公式参拝だと言った人は一人もいません。それなのに、なぜ非難を浴びるのでしょうか。これもナラティブなのです。中国は『日本のA級戦犯が埋葬されている戦争神社に、首相が参拝することはけしからん』という言い方をします。しかし神社というのはお骨を埋めるところではなく、神社には名簿しかありません。死は穢(けが)れですので、お骨は神社にはないのです。さらに靖国神社は戦没者を悼むところではありますが、戦争をほめたたえるような戦争神社ではありません。そうではなく、靖国神社は国のために命を捧げた人を祀り、天皇陛下がお参りをするという約束の場所でしかないわけです。それについてはいろいろな意見はありうると思いますが、少なくとも戦争神社ではありません。中国のナラティブは、この点で間違っているのです」。
2004〜05年、外務省の国際報道官を務めていた頃には、外国人には分かりにくい、死や穢れ、浄め、神道に対する日本の考え方について、総領事はアニメ映画『千と千尋の神隠し』を使って説明していたという。「きちんと説明していくと、外国の人もいかに固定観念で神道や靖国神社を見ていたかに気が付きます。こうしたナラティブの戦いをしていかなければならないのです」。
しかしながら、ナラティブの設定の仕方がまずいと、それは破綻していかざるをえない。全てをユダヤ人のせいにしたヒトラーのナチスドイツや、資産階級や古い文化が悪いのだと理論を展開した中国の文化大革命など、その破綻の例は枚挙にいとまがない。「今も『全て異教徒のせいだ』というナラティブを言う人々がいます。この人たちもやがては破綻していくことは目に見えているのですが、問題は放っておいても破綻しないので、手を緩めずに戦わなければならないのです。破綻するナラティブに共通しているのは、『全部あいつらのせいだ』という無限の無責任です。でも、じゃあその相手がいなくなった時、自分がどう結果を出すのかとなると、途端にナラティブが破綻していくのです」。
最後に千葉総領事は、「相手の世界観に合わせながら、少し軸をずらして相手の言いがかりを崩していく。それがナラティブだと考えています」とまとめを述べて、1時間近くに及んだ講演を締めくくった。