1955年三重県生まれ。中央大学商学部卒業後、井村屋製菓株式会社(現・井村屋株式会社)に入社。35年にわたりフードサービス部門でレストランのマネジメント、店舗開発に従事。2012年、海外事業戦略部に異動。17年、現職として米国赴任。
私の実家は寺なのですが幸い兄が跡を継ぎ、私はどこか小さくてもいいから皆でワイワイ切り盛りするような店をやりたいと思っていました。割とそうしたワイワイやるのが好きな性質なんでしょう。大学時代はヨット部に入り、授業はそっちのけで仲間と練習に明け暮れていました。とはいえ全国大会レベルの部でしたから、練習は厳しかったですよ。陸上やゴルフなどは自分と対峙するようなメンタル面を問われる場面が多くありますが、ヨットはそれよりも風を読み波を読み、自然と向き合う場面が多く、他の競技にはない面白さがありました。渡米直前までOB会の手伝いもしていました。
大学を卒業して井村屋に就職したのが1977年。井村屋というとアイスクリームや和菓子のイメージが強いですが、実はアメリカンスタイルの「アンナミラーズ」などレストラン事業も展開しており、私はそのフードサービス部門志望で入社しました。最初はパイを作るところから教えてもらい、店長として店に行ったのが24歳の時。働いていたスタッフも同年代の人が多くて皆仲良く、実は今も頻繁に連絡を取っているくらいです。
フードサービス部門には35年間にわたって勤め、30歳前後からはスーパーバイザーとして何店舗かをまとめ、最終的にはフードサービス事業部長になりました。バブルの時期には拡大し、ピーク時には20店舗以上あったアンナミラーズですが、バブル崩壊後は外食産業にとって厳しい時期が続き、品川店だけに絞るなど苦しい時もありました。また35年の間には、フランス菓子のパティスリー「ジュヴォー」の日本出店にも関わりました。
転機が訪れたのは、2012年の海外事業戦略部への異動です。きっかけはアンナミラーズの中国天津の出店で、同時に井村屋グループの海外事業支援と井村屋商品の輸出強化も私のミッションでした。それまで井村屋商品の日本国内での販売は把握していましたが、海外については輸出会社に任せきりで、どこでいくらで販売しているかも知らなかったのです。それではダメだ、自分たちが現場に行って市場を見て、自らの商品を拡大していかなくてはと、13年にはタイや台湾、香港などの展示会に出展し、積極的に海外展開を進めていきました。
そして17年にアメリカ赴任に。アメリカのIMURAYA USA, INC.は09年の設立で、最初は合弁企業としてのOEMの仕事から始まり、その後オリジナルの商品を作るようになった会社です。通常、日系メーカーが米国に進出する際には販売法人が先にでき、ある程度商品が売れてから現地生産でコスト減を図るという流れだと思うのですが、当社はいきなり工場を作って進出した珍しいケースで、このアーバインの本社には工場が併設されています。
仕事をしていく上で、そして特に工場を持って商品を作り販売していく上では、スタッフとの信頼関係が大切です。海外で働く上では言葉の問題はありますが、それを言い訳にしていると信頼関係どころか意思の疎通もままなりません。流暢に言葉を使えなくても、例えば一緒に運動をしたり食事をしたりして、積極的にコミュニケーションを取り、信頼関係を築いていきたいと考えています。ワイワイ楽しく仕事をしながら、井村屋の商品を米系マーケットにも広げていくつもりです。
IMURAYA USA, INC.◎2009年設立。10年に建設したアイスクリーム工場で井村屋ブランドのアイスクリームをはじめ冷凍和菓子を生産し販売。また井村屋ブランド商品の輸入、販売を行う同社の米国進出拠点でもある。