1949年東京都生まれ。中央大学法学部卒業後、72年に株式会社ジュピターコーポレーション入社。東京本社、名古屋支店で営業として勤務した後、94年にアーバイン所在のJupitor Corporation USAに赴任。2008〜12年は東京本社で勤務し、13年から再び米国勤務となり、現職。趣味は高校時代から続けているマンドリン。
1972年に株式会社ジュピターコーポレーションに入社して以後、94年の米国赴任までの22年間、営業として東京本社と名古屋支店に営業として勤務していました。当社は航空機、宇宙に関連した器材や部品を防衛省や機体メーカー、通電メーカーに納入しているのですが、日本勤務時も出張ベースで米国の部品メーカーを訪ねて何度も渡米していました。
94年に副社長としてアメリカに赴任し、2001年現地社長に。08年に日本に帰国するまでの13年間で最も印象に残った仕事は、「F-2」という航空自衛隊の支援戦闘機の電子機器を地上待機中に冷却する米国製の装置を納入したことでしょうか。また、国際宇宙ステーション「きぼう」内で使われている部品、小惑星探査機「はやぶさ」の部品なども納入させていただきました。こうした貿易商社の業務はただ製品を納入するだけが仕事ではなく、いかにお客様である日本の機体メーカーの要望を理解し、それを正確に米国のメーカーに伝えて実現してもらい、日本の顧客と米国の仕入先に満足していただけるかが最大の任務と言えます。
そうした中で腐心するのは、品質もさることながら、納期です。どんなにきちっとやっていても、米国側の製造スケジュールと、日本側のスケジュールがマッチしないと仕方ありませんから、問題や製造計画などについて生の情報を取り、お互いにどれだけ調整できるか着地点を見つけるのも私たちの仕事です。しかし、どうしてもそのメーカーでは間に合わない場合は、別のメーカーの物を提案するなど代案を出したり、市場に在庫がないかかけずり回って探したり。商社というのは"モノ"を扱いますが、的確なサービスを提供するためには、情報を扱うことも大切な仕事の一つだと言えます。
こうしたさまざまな問題を乗り越えて、無事に仕事を終えられた時の達成感と喜びは、何事にも代え難いものがあります。今年からは、シアトルにあるSeattle Aero LLCという別の子会社で、B787関連のケーブルを製造する仕事が始まりますから、今後はメーカーとしても顧客にきちんと物とサービスを届けていきたいですね。
日本と米国では、言葉の表現の仕方、日常の文化、ビジネスの習慣も異なりますが、どちらでも大切なのは、やはり"人と人との関係"です。若い頃は自分一人で何でもできるような感じがしますが、この歳になると、いろいろな人のおかげで今の自分があるというのがよくよく分かって来ます。
当社の創業者である藤村義朗は、公益財団法人モラロジー研究所の倫理道徳を学んでいました。私も若い頃からその理念を勉強しているのですが、この歳になっても健康で仕事があることを思うと、「全てに感謝して、それをいかに社会に還元していくか」という理念に非常に共鳴するんです。いろんな縁があって、今があって、それらの全てに感謝の気持ちを持ち続けることが本当に大切ですね。
多くはありませんがボランティアをしたり、母校である中央大学の同窓会である白門会ロサンゼルス支部で、現役の中央大学の学生をこちらに呼んでOBが米国でどんな仕事をしているか見てもらい、就職のヒントにしてもらうような活動を続けたりしています。当社でも去年、一昨年と学生の企業訪問を受け入れました。まだまだ少しずつですが、今後もいろいろな形で社会に貢献できたらと思っています。
=Company Info=
Jupitor Corporation USA◎宇宙・航空・船舶・車両(自動車・鉄道)・電子・電気・流体に関する装置・機材・部品・原材料を主として取扱う貿易流通と、製造・修理機能をあわせ持つメーカー商社「株式会社ジュピターコーポレーション」の米国子会社。