1960年徳島県生まれ。徳島大学工学部卒業後、83年に松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)入社。メディア事業部・生産技術課を経て、製造部門の部長を務める。2013年6月より米国に赴任し、現職。
子どもの頃からの機械好きが高じて、大学では機械を専攻しました。パナソニックというと電気製品の会社ですので、機械とどうつながるのかと思われるでしょうが、当社は当時、製品の自動組立機、つまりもの作りのための「機械」技術で進んでいました。入社から約30年、日本でものを作る設備を開発・制作する生産技術部門一筋。製造現場の管理を任されるようになって2年ほどした頃、米国に赴任しました。
本来、海外赴任は若い幹部候補生の登竜門としての意味合いが強く、当時53歳で海外経験のない自分に白羽の矢が立ったのには驚きました。ここでは北米で販売する光ディスクを製造し販売しています。ところが、そのコンテンツはインターネット配信に変わってきているため、業界そのものが右肩上がりではありません。瞬時に2時間の映画やゲームがダウンロードできるようになるまでは、光ディスクなどのパッケージメディアは当分は生き残れると思っています。しかしながら、この事業だけではなく、さらにプラスアルファの事業を日本から持ち込んで、売り上げを成長軌道に戻していきたいのです。もの作りの現場に長く携わってきた経験を基に、新しい事業をスムーズに立ち上げることができたらと思っています。
アメリカの家電量販店で、パナソニックの商品を見ることは少なくなっていますよね。特にテレビに代表されるデジタル家電は部品を買って組み立てれば完成するため、もの作りのノウハウのキーになる部分が一般化しており誰でも作れてしまう。そういうコモディティー化した商品は必然的に激しい競争に巻き込まれてしまいます。従来は商品の機能をてんこ盛りにして他社との差別化を図りましたが、顧客の真の要望を反映した他社に簡単に真似のできない機能を開発していく必要があります。その施策として、今、当社はグループ全体の方針として、より顧客要望に特化しやすい企業間取引事業に力を入れています。リスクはありますが、認めてもらえれば安定的に事業を展開していけます。
初めての会社経営は、一部門を管理していたこれまでとは異なる仕事もあり、忙しくしています。初めての海外赴任ですが、ここの従業員には創業以来勤めてくださっている優秀な方も多く、これまでも社長は日本からの出向でしたので、日本人への対し方が分かっているのかもしれませんね。英語で言いたいことが全部言えなくても察してくれ、分かりやすく話してくれます。
それにサウスベイは日本語も通じますから、他のアメリカの地域とはちょっと違いますよね。日本の食べ物にも不自由しませんし、日常生活は英語が少し話せればこと足ります。でも、できたらもう少し、慣れない英語を使って、こちらのコミュニティーで人間関係の幅を広げたいです。人間、どうしても易きに流れますからね(笑)。
仕事を離れると、単身赴任ですので、なかなか一人では旅行に行く気にもなりませんし趣味はゴルフだけ。2週間に1度ほど従業員とゴルフに行っていますが、できたらもっと社会的な貢献ができるような趣味を持ちたいですね。仕事は目標を皆の力で実現したりして達成感があるでしょう。そういう関わり合いが好きなんです。そんな趣味が持てればいいなと考えています。
=COMPANY INFO=
Panasonic Disc Manufacturing Corporation of America◎パナソニック株式会社の米国におけるDVD製造子会社として1996年に設立。映画やゲームなどを収めたDVD、Blu-rayなどの光ディスクの製造、販売を行っている。